2016年02月22日

哲学

自メモ>手探り思考> 
我が脳ミソはどうも哲学志向(嗜好か?)というものに支配されている様なのだ
が、その哲学とは「言葉で分かりやすく伝えられる、人への普遍的メッセージで、
それを受け取った人の自発的志向や行動に作用し、その人や、ひいては社会を幸
せにする事のできるもの」と言える ?
(2016/2/22 Twitter)
posted by 思索家 at 15:59| Comment(0) | 日記

2015年01月20日

分子標的薬

先ほど、県病院の担当医師から電話あり、

遺伝子分析の結果がでて、
新しい分子標的薬のALK(?、と聞こえ、そう耳に残ったが)
が合うタイプだと分かったとの事。

どうやら飲み薬らしいが
少しでも早く飲みたいというご希望があるなら
という趣旨だった。
前回の診察時に咳が激しかったというイメージで
電話を頂いたようである。

分子標的薬であれ、それほどうまく機能するものか
という疑念は心にあるのだが、
ちょっと、かなり、誘惑的な内容ではある。

いずれにせよ即断する気にはなれず
どちらにせよ、今日の夕方から出張で
次回の診察の2日前まで身動きならないので
当面すぐにというつもりはありませんとお断りした。
ちょっと残念そうであった。
医師の前向きの気持ちは伝わってきて
少し見方を変える面がある。

さて、どうしたものか。

まずは、月末での説明を聞いて、
という事にはなるが。
posted by 思索家 at 11:44| Comment(0) | 日記

リンパ節の腫れ (左、鎖骨上)

首の下、鎖骨の上のリンパ節が腫れている。
左、つまり、心臓側の方だけ。

1/17の朝、前の晩、コタツで寝ていたせいか
ちょっと首に異変。
うつぶせで右脇を下げ、いつもの様に寝たつもりだったが。

車での移動の際に、左を振り返るのに
ちょっと首が痛かった。

その前の晩には腫れを意識することはなかったのだが。

これはその後も居座り続け
1/18夕方には目視で腫れが確認できる。
押すとちょっと痛い。

縦隔のリンパ節を一つ取り残し、
どうやらそこがガンの再発をひきおこしているようで
この鎖骨上のリンパの腫れもその影響を引いているのか?

1/19 10pmからいつものように権現温泉。
サウナで、いつもと少し呼吸法を変えたが
少しこの鎖骨上の左リンパが痛みはじめ
サウナから出て水シャワーで冷却。

現在、1:30am/ 1/19
少し痛みを自覚しているが、
煩わしいほどの痛みではなく軽い痛み。

さて、これからどうなるのか。
回復するのかどうか、今後を考える上でキーになりそう。
posted by 思索家 at 01:36| Comment(0) | 日記

2015年01月19日

予想して、…

電話の着信、着信メールの内容、など

内容が予想できないものに対して
明けてみるのを逡巡する気持ちが
最近徐々に増えている。
「あ〜、こんなンだったら嫌だなぁ」
と、ちょっと、躊躇ってしまう。

結局は開けてみないとわからないので開けるが
朝一番のタイミングに持ち越す事も多い。
やはり朝はエネルギーがあるという事でもあるが…。

こんな事で、これからのガンとの戦いを
冷静に見つめて対処していくことができるのか
そう考える頭がある。

まぁ、遅ればせながらもきちんと対処ができている事で
特に自分を不安視する気持ちがないが、
それでもやっぱり、
ガンバレ自分。

もっと、ちゃんと、ガンバレよ。
(^^)
posted by 思索家 at 19:09| Comment(0) | 日記

2015年01月05日

有名になるのは

有名になるのは

有名になりたい人にまかせておけばいい
有名になるにも向き不向きがある。
ひっそりと生きるのが好みの人もいるのだ。

タレントと呼ばれる人々だって
「街角発掘」とやらでタレントになった人は
向いてないということで引退する人もいる。
女性タレントには結婚ですっかり引退し
そこに幸せを感じている人も幾人もいる。

有名になる必要はないし、
有名になることがヒトカドの事である
なんて思う必要もない。

テレビ番組の録画予約をしていて、
ふと
感じた事。

2015/1/5
posted by 思索家 at 13:11| Comment(0) | 日記

(当面)不使用/不要 品

我が家には、

というより、私には、

当面使うこともないだろうが… という
不要/不使用品が数多くあり
それが住居のかなりのスペースを占拠している。
あまつさえ、貸倉庫(コンテナ形)まで契約している。
客観的立場に立てば苦笑を禁じ得ない。

ため込んだものは、仕事を通じて得た資料
録画したTV(ビデオテープ、DVD)
録音したCD、MD
本、雑誌(機内誌なども含む)
など。
こう書けば簡単だがこれが結構な分量ある。

どうも捨てがたく残しておいたのだが、
これは、
「使いたくなった時」のオプションとして確保
の心境である(あった)ようだと今思っている。

いや、本当の所は我ながらわからぬが
捨てるのが辛かったというのは実情。

これは、いわば歴史でもあるこれらの品を捨てることで
自分の人生の記録を捨てるという事にもなり、
それが辛いのだろうという見方もある。
(つまりは、死にたくない、という心情?)

ただ、もうあまり先も長くないと分かってきて
ここにきて考えるに
先に書いた「未来へのオプション」
(使いたくなった時に使えるように)
としての心であったように今は感じている。

一般には、いつまで経ってもモラトリアム
という評価に終わってしまうような側面もあるが

自分のやるべきことは都度優先順位を確認しながらやってきており
(やるべきことには、「休む」「だらだら」「迷う」も含め、《苦笑)
モラトリアム(原義:支払猶予 →「決定猶予の意味」のつもり)
つまりは優柔不断?という事とは違うように考えている。
(優柔不断、なんて、沽券に係わるのだ 《笑)

さてここへ来て
自分の人生はあと何ヶ月だろうと考えるに
どうやらやっとこれらのため込んだものが処分でき
回りをすっきりとさせるチャンスのようだ。

見事スッキリさせられるのか、
あるいは何かもやもやとした不決断が残り
整理が進まないのか、
我ながら興味深く、ワクワクする感じすらする。

なかなかに人の心はオモシロイ。

2015/1/5
posted by 思索家 at 11:52| Comment(0) | 日記

2014年12月27日

世間に名を轟かせる (未遂)

最近思うのに、
無名のままにおわってもどうという事もない、
と。

それがすっと受け入れられるようになってきた。
これを、歳を取ったというのかもしれない。

社会から傑物と思われたいし、それだけの活躍をしたい
それだけの自分でありたい、そうあることができる
という意欲は若いうちにはあった。

ただ、世間一般にこういう場合のイメージとして
有名になる、とか、一番になる、という事だろうが
それは出来合いのフィールドでの話という事になる。

自分の場合には、世間の気づいてないものを見つけ出す、
(考え方、事象への光の当て方などについて)
いわば社会学的事案で世の中に光を当てたいと
思ってきた。

不遜を顧みず言えば、
孔子が世の中に送り出したようなもの目指した
という事になる。

物理の世界で言えば、
コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン
という事である。

無論、彼等は子供の時からの大天才であったようであり、
当方とは比べようもない。

ただ、追い求めようとしたのは、彼等のような結果というより
彼等のようなモノの見方、それまでの常識からは出てこない、何か、
という事であり、その何かを具体化しようとする姿勢である。

歳をここまで重ねて、
その姿勢は確かに追い求めてきたのであり、
いまここまでの所結果に繋がってないという事は事実であっても
それを口惜しいと思うつもりもなく、
まあ、そんなことは世間に一杯あると感じているという事だ。

大事なことは、自分の信じる事を一生懸命やることであり、
それが回りに迷惑をかけなければそれでいいのではないか。

そういう見方になってきたという事である。

そんなわけで、冒頭に書いた通りに無名のままに終わりそうだ。
(笑)

せめてもの、「セミのションベン」がこの記事という事になろうか。
(笑)(笑)

ただ、一方で、感じるに

若いうちは「世間をあっと言わせる」という衒気は必要だろうし
その意気込みがないと、自分自身の生き方としても輝かない。

という事で、ガンバレ 若い人たち。
posted by 思索家 at 11:02| Comment(0) | 日記

2014年12月25日

ガンの再発(リンパ節)

本日、通常CTによる定期検診。

前回9月の定期検診あたりから飲食時などに咳が出始め
ガンの影響を疑ってはいたが
何となく食道への転移をイメージしていた。

本日の検診結果は、リンパ節の肥大が見られるということ
前回9月の時には問題なしという事だったが…。
ガンの増殖は細胞分歴なので、倍々で増える。
ガン細胞そのものは小さいので最初は目立たないが
1,2,4,8,16、32、64と増えているわけで
ある時目に付くようになると、大きくなるのは早い。

再発が本当だとなると、放置しておけば酷くなるのは早い…。
だろう。この記事をここまで書いて気づいた。



夏の終わり頃の咳の出始めは、
モノを言い始めるタイミングだとか
食事の時だとかという事で必ずしも状況は特定できなかった。

それがここへ来て
どうやら水分を取るときに気管の方へ誤飲しそうになる感じ
という事に状況特定できる感じになっている。

ツバ(?かどうか、なんとも言えないが、喉の液分)が
気管の方に行きかけたという感じの違和感が突然に起こることもある。

それを防ぐために、咳が出る、という感じである。
出始めると、数回の咳が2〜3分毎に出て、
しばらくすると収まる。
全体として概ね10〜15分の間かと思う。



その他にもなんとなく従来より疲れやすいとは感じていて、
うすぼんやりとガンの影響をイメージしていた所はある。
9月以降は、いつか内視鏡で食道ガンの検査をうけてみよう
とおもいつつ過ごしていた。



今回のリンパの肥大は少し虚をつかれた感じである。
が、いわれてみればもっとも自然でもある。
肺ガンの手術の時に、リンパへの転移も確認されており
一つ取り残しがあり、それへの放射線治療も行った。

その放射線治療をどうするかで、岡山の重量子線センター
(★)へセカンドオピニオンを聞きにいったりもした。

ただ、リンパ節への転移があったという事は
ガン細胞が全身に撒かれているという事で、
どこに転移があってもおかしくはないというイメージであった。
なぜかリンパ節の肥大というイメージは薄く
結局重量子線の治療(300万ほどかかる)は選ばず
県病院の放射線治療ですませた。
ただ、その放射線治療は他への影響も考えられる
という事で、本来の線量より随分と少なく終了させた。
本来70グレイくらいの所を、25グレイくらいで終了
という記憶がある。

医者からは、放射線と化学療法(制ガン剤)の併用
を薦められたが、それは断った。
制ガン剤は基本的に細胞の増殖を抑える毒であり、
正常な細胞にも働きかけるからである。

いろいろと本も読んだが、制ガン剤による延命は
概ね制ガン剤による闘病期間分という感触をもった事にもよる。
統計的なデータはいろいろあるが、
特定個人に対しては、結局制ガン剤が効くか効かないかは、
やってみないと分からない。
一方、制ガン剤の副作用(QOLの低下)は確実にやってくる
と考えた。

放射線、あるいは重量子線による治療も、治療の時点では
正常に見える部位にあてるので、効果は先にならないとわからない。
つまり、結局そこが後で肥大するのかどうかという事である。

もう少し放射線治療をやっておけば、あるいは重量子線の治療なら
今回の肥大はなかったのか?
それは結局わからない。
ただ、今回の肥大の様な事実に直面すれば、
あの時やっておけば?、と考える事にはなるのも事実であり
それは予見の範囲ではあった。



今後の制ガン剤については、分子薬治療、あるいは普通の化学療法
と2つの選択肢があると説明された。
分子薬治療については遺伝子の型で効くか効かないか分かれる。
今回、保管していた細胞から遺伝子判定を実施するとの事。

ただこれは昨年、手術後の方針検討で、分子薬治療なら
放射線と併用してみたいのだがと申し出たところ
医者からエライ不快顔で、放射線をやらない方針なのに、
検査だけひとまずという事はしません、と言われた。
こちらとしては極めて当然の判断のつもりだったが
医者がやらないという以上、それ以上は口論になるだけである。

他の病院に回って意見を聞く、あるいは遺伝子の型の調査を依頼
というのもいろいろと心理的影響があり、実施しなかった。

たわいないと言えば たわいない心配ではあるが
他の病院へ行って、どう説明するのか、
またそういう検査をやってくれるものかどうか。

検査の結果がでて遺伝子の型が分子薬治療に適しているとして
それはどこで治療するのか?結局県病院か
そうなったときに、他で検査したという事をどう医者が判断するか。
聞き分けよく、ああそうですかとなるのか。
あまり気分を害さないだろうか。

などなど、考えてしまうわけである。


さて、ここまで書いて夜も更けており(2:44am)
一旦閉じることにする。

昨年の春、色々と本を読んで考えた結果、
制ガン剤治療を選択せず、ただ、どうやら食事は影響があるかと
野菜ジュースだけはなんとか続けてきたが
それも効果があったのかなかったのか。

もっとも、ISOの審査の仕事を再開し、結局生活も不規則で
排便時の便の状態もあまり良くもなく
(野菜ジュース生活の始め、6月頃?は素晴らしい便だった。
 切れもよく、カタサ形、理想的な感じ (笑))

審査ともなれば、
食事もホテルまわりで調達できるものに限られる。
睡眠も不規則になりがち、
結局、こっちの「生活態度」の方がよくなかったのかもしれない。

ホテルでの食事も極力生野菜を取る一点だけはなんとか守ったが
まぁやっぱりあまり効果はなかったのかもしれない。
フコイダンも摂取忘れをしがちだったし。

まぁ、もう考え、書く事に充足してしまった。
本当はやらなくちゃいけない事務作業があるのだが、
また、明日。目覚めてから、という事にしよう。

本当はイケナイ事かもしれないが、今日買った
一番搾りPremiumをエンジョイして床につくことにする。

おやすみなさい。
posted by 思索家 at 02:56| Comment(0) | 日記

2014年01月09日

生きていくこと

この世に生まれたからには

例え少々、あるいはかなり
辛いことがあったとしても

人生を肯定的に、かつ積極的に
また、出来る限り楽しく、有意義にすべく

前向きに生きていきたいものだ。

また、出来うることならば
少しでも多くの人が人生を肯定的に
かつ前向きに、楽しく
生きていけるように

世の中の条件を整える事に

微力でもチカラを添えたいものだ

と、思う。
posted by 思索家 at 18:42| Comment(0) | 日記

2013年09月23日

反感は反感を招く

フェイスブックなどで、ここの所の隣国との摩擦を受け
他国への反感を煽るような記事を結構みかける。

人間の感情としては、そういう気持ちも理解できなくはないが
社会的にはこれはかなり危ない要素を含んでおり
賛成できかねる。

反感は反感を生むのであって、反感が共感を呼んだ試しをしらない。
自国が非難されているような他国の反感を
共感をもって受け入れるなら、それは偏向していると言われてもやむを得ない。
人間社会の自然な感情、ありようはそういうものだ。

人間の感情にも物理の「慣性の法則がある」。
反感は継続するし、反感が反感を読んだ結果お互いの国のやりとりで増幅し
慣性(継続)どころか強化(悪化)される危険が大いにある。

相手の反感に対しては、その反感のよりどころとなっている物の見方を
「ああ、そういう見方をするんですね。」と理解するしかない。
この理解は、別に共感ではない。相手の立場を事実として認識するだけでよい。

これは理性により対処することができる。

相手の立場を認める事で、こちらの立場も主張することができる。
ここで立場の正邪優劣を競わないことだ。
正邪優劣の議論は反感を生むのが一般的である。

一端反感に加速度がつけば、3世代は継続される。
ざっと50年は相互反感の状態に置かれるという事だ。

安定した国際関係、ひいては安定した自国の環境を守るためには
他国への反感を安易に煽らない事が大事だと思う。
posted by 思索家 at 19:22| Comment(0) | 日記